1月22日 紫香楽宮(しがらきのみや)跡 発掘調査現地説明会が開かれました
昨日までの雨で足元は悪かったのですが雨も止み多くのファンが詰掛けました
宮町遺跡の第1次発掘調査は昭和58年に開始~現在第40次発掘調査・・

奈良時代に聖武天皇が造営した紫香楽宮(742~745)があった甲賀市信楽町宮町遺跡
天皇が日常生活を送っていた内裏(だいり)の正殿とみられる大型建物跡が出土しました
10年ほど前に中心部が見つかったニュースを知り、一人で宮町を訪ねたのですが
確認することは出来ませんでした。今回は見逃さないように説明会に参加しました

このように遺跡の周りの環境がそのまま残っている所は少ないそうです
この風景を天平の人々も眺めていたのでしょうか
しばし1260年前に佇んでました・・



建物跡は天皇が政務を執る大安殿(大極殿)跡の北側で出土
柱穴から東西24.9m 南北14.8mと推定される
直接柱を埋めた 掘立柱
今朝は雨で溜まった水を取り除くのに関係者の方がご苦労されたそうです
雨水で柱穴の深さは確認できませんでした・・

10年前に18m西側に出土した建物跡と大きさや向きが同じだそうです

正殿は、大極殿など公的な建物群の後方に天皇の私的空間として
建てられた施設。平城宮や平安宮など多くの場合は1棟しかないが
聖武天皇が同時期に造営した恭仁宮(くにのみや)(740~744年)
では2棟が確認されている。
伯母の元正太上天皇が天皇に付添い、政務を支えたとされる
紫香楽宮と恭仁宮にあった2棟は、聖武天皇と元正太上天皇が
それぞれ過ごした建物だったとみられると、新聞に載ってました
正殿跡とみられる想像図

宮町遺跡遺構配置図
二重に見えてると思いますが、薄い地図は現在の地図です

パンフレットより・・

紫香楽宮は742年(天平14年)に離宮として造営
45年正式に皇都と公示されました。
大仏を造る大事業は「甲賀寺」(史跡紫香楽宮跡)で始められた
東大寺の大仏につながるような巨大さで計画されていたとすると
現地表面の金堂にはとうてい収まり切りません
地下にあるかも知れない甲賀寺の遺構こそが
多くの問題を解く鍵を握っているのです。
宮町地域で巨大な掘立柱の柱根発見され宮町遺跡が見つかりましたが
それまでは「史跡紫香楽宮跡」を紫香楽宮の候補地として有名でした。

7100点もの大量の木簡からも紫香楽宮の構造がわかってきた
紫香楽宮関連の重要遺跡もあいついで発見されている

調査後は埋め立て水田に返すそうです
その後 都は平城京に戻りましたが、そのまま都が紫香楽に続けば
奈良の大仏が紫香楽で見られたこになり、どんな生活が営まれたのでしょうか
大雑把で解り難い説明ですが、少し載せて頂きました・・












































